現地レポート

続・上野国の古代駅路 ①国府域を訪ねて

群馬県では東山道駅路の発掘確認が進んでおり、多くの区間でルートが明らかになっています。

国府は発掘調査により、前橋市元総社町周辺と考えられています。

奈良時代の駅路は国内を東西に一文字に走り、最短距離で信濃国と下野国を繋いでいました。国府とは南北に延びる「日高道」で連絡していました。

その後、平安時代になると、国府近くを通るルートに付け替えられたと考えられています。

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(古代交通研究会『第18回大会資料集 複合遺跡のなかの駅家』2015年より)

この略図で「牛堀・矢ノ原ルート」とされているwide&straightな前期駅路については、以前、痕跡地形をご紹介しました。

今回は、平安時代の後期駅路である「国府ルート」を歩いてきました。

スタート地点は国府域。まず、駅路のルートはこのように推定されています。

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(前橋市教育委員会『元総社蒼海遺跡群(74)~(80)・(92)~(94) 前橋都市計画事業元総社蒼海土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』2017年より)

ゆるやかにカーブを繰り返しており、いかにも後期駅路らしい姿ですね。

上の地図ではこれより東は記載されていませんが、いつもの米軍航空写真ではこの通り明瞭に斜行路C-Dが映っています。

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明治時代の地図でもこの通り。

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さらに東に進むと、かつて「厩橋(まやはし)」と呼ばれていた前橋市中心部です。

「現在利根川の流れているあたりに車川と称する流れがあり、そこにかかっていた橋を「駅家(うまや)の橋」と呼んだことから、自然に地名になった」(前橋市webサイトより)とされています。

「前橋」が駅路に所縁のある名前だったとは意外ですね!

さて、スタート地点に戻りましょう。脱線しました(苦笑)。

東山道と日高道の交差点をkashmir3Dで3D地図化するとこの通りです。

A地点にはこの通り、帯状地割が細長い畑として残り、痕跡地形が明瞭です。

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B地点から染谷川東を眺めた写真はこの通り。

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C地点には、A地点同様に、帯状地割が残っていました。

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次に、日高道を北に辿り、国庁推定地を訪ねてみましょう。実はまだ確定的な遺構は見つかっておらず、いくつか推定地があるようです。

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(前橋市教育委員会『元総社蒼海遺跡群(121)前橋都市計画事業元総社蒼海土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』2017年より)

その一つがこの宮鍋神社です。

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案内板が立っています。

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そういえば、お隣下野国の国庁正殿跡に建つのが宮ノ辺神社でした。同じく「宮」の近くという意味ではないかと想像されますが、由緒書によれば鋳物師の氏神であったため、とのことです。

最後に、国分寺跡を訪ねてみることにしましょう。

途中、国府域の西端で、発掘現場を見つけました。

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素人ですのでどんな建物だったか想像つきませんが、残土には面白いものが見つかりました。

まずは青磁の欠片。

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須恵器の皿(?)の底。

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布目瓦。

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これだけそろうと、どうやら官衙か寺院の遺跡の一部のようですね。

少し歩くと国分寺跡に到着。案内板はこの通り。

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復元された築地塀。

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七重塔基壇(復元)と案内板。

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金堂基壇(復元)です。南門方向を見ています。

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今回はここまで。

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