葵塚・巴塚の前を通過した後、古代北陸道がどんなルートを辿ったのか?、坂本駅家はどこにあったのか?、いずれもよくわかっていません。ただし、手掛かりがあります。
1961年航空写真で小矢部市の田圃の中にくっきりと見える斜行地割が、駅路痕跡ではないかと考えられています。
北端部では用水路として残っており、現地を訪ねたところトップ写真の通り立派な標識が立っておりました。
なお、ブログ主の私案は次の通りです。
斜行地割を南へ延長(青線)し、矢立山山頂から葵塚・巴塚を通りこれと直行する計画ライン(点線)を引き、①平野部への出口、②両線の交点、のいずれかに坂本駅家を想定しています。
(シリーズ終わり)