現地レポート

武蔵国の古代駅路 ②狭山・所沢市境の不思議な武蔵路痕跡

行政界が古道の名残であることはよくあります。

それにしても、このケースはかなりユニークです。狭山市に所沢市が約20m幅でニュ~っと突き出しています(笑)。

周辺にも、並行する道路に挟まれた帯状地割が存在し、全体が武蔵路の痕跡だと考えられています。

明治初めの迅速測図でも見えますね。点線がおおまかな想定ルートです(木本雅康 2011年『古代官道の歴史地理』を参考に作成)。

武蔵路-狭山所沢市堺-迅速測図
出典:歴史的農業環境閲覧システム(農研機構農業環境変動研究センター)

では、実際に歩いてみましょう!

まずは、突き出しの先端部分です。

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この幅と佇まいは、他所でも見た覚えがあります。例えば、上野国の東山道痕跡です。

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そっくりでしょ?(笑) 南へ下ると、かつての道路脇と思われる場所に興味深いものが。

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八軒家の井」と呼ばれる“まいまいず(蝸牛の意)井戸”の痕跡です。

武蔵野台地は地下水位が低いため、すり鉢状に地面を掘り窪めた上で、井戸を掘り下げる方式がとられていたそうです。飲み水を得るのに苦労していたのですね。

近くの堀兼神社には、『枕草子』にも見える武蔵野の歌枕として知られる「堀兼の井」が保存されています。

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いずれも築造時期は不明ながら、武蔵路との位置関係が要注目!。

先に進むと、道路遺構が検出された柳野遺跡の跡地があります。駐車場と現道にまたがって駅路が走っていたようです。

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その先も、現道とその裏道の間の空き地といった風情の駅路痕跡が続きます。

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これほど明確な痕跡でありながら、武蔵路跡を示す案内板が見当たらないのが、古代道路ファンとしては残念!。「鎌倉街道」との標柱は立っているのですが。

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