現地レポート

近江国の古代駅路 ①瀬田の唐橋から「瀬田駅家」跡へ

宮都のある畿内を出て、最初の東山道国が近江、現在の滋賀県です。

奈良時代には琵琶湖の東を東山道が、西を北陸道が通過し、平安時代には東海道もここを通っていました。

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平井美典『藤原仲麻呂がつくった壮麗な国庁・近江国府』2010年より)

東西日本の境目ともいわれる交通の要衝でした。

中でも、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川にかかる「瀬田の唐橋」は、畿内の玄関として、古来、合戦の舞台になってきました。

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なお、浚渫工事に伴う発掘調査で、現在よりも下流の位置に、石や材木で組まれた古代の橋脚基礎が確認されています。

その構造が新羅の都・慶州の遺跡と類似しており、新羅系渡来人の技術が用いられたものと考えられています。

国庁の位置や東山道のルートについては、発掘確認が進んでいます。GoogleEarthで見るとこの通り。

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では、橋を渡り、国庁まで東山道を辿ってみましょう。東に進むと、ほどなく小さな独立丘陵にぶつかります。

この上にあるのが堂ノ上遺跡で、勢多駅家の跡と推定されています。延喜式では馬30疋が配されている大きな駅家です。

発掘調査で確認された遺構はこの通り。

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平井美典『藤原仲麻呂がつくった壮麗な国庁・近江国府』新泉社 2010年)

現在の地形では想像しにくいのですが、駅路は約6mの高低差を乗り越えていたようです。

正殿と見られる瓦葺礎石建物が見つかった周辺はこの通り。

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駅路のライン上から西を見下ろすと、典型的な帯状地割が見えます。

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今度は東を見ると、切り通し状に下っていきます。

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なお、駅路上に梁行2間・桁行3間の立派な瓦葺礎石建物が見つかっています。

駅路と並存していたと見られ、これより東の国府域と画するための門が設けられていたのではないかと考えらえています。

以上

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