里山の風情が残るハイキングコース「白鳳道ふれあいの道」を歩いてきました。藪に覆われていたかつての生活道路を、地元の皆さんが整備されたのだそう。そして、この道こそが、山方駅渡海説での駅路推定ルートそのものです。
分岐点の塚や石仏がいい雰囲気です。右の道を進みます。
広場状の場所もあります。
馬の背状の尾根道も。
切通しもあります。
ここで現道に合流します。
ここまでを、3D地図で見るとこの通りです。
微妙にズレがありますが、明治初期の迅速測図で描かれています。
いやぁ、いい凹道でしたぁ・・・。 毎月、下草刈りをして頂いている皆さんに感謝!
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と、ここで終わってはいけないのが、このブログです(苦笑)。以下、古道地形マニアらしくいきます。
周辺の下総台地は東西から谷の開析が進んでおり、わずかに残った尾根状の部分を南北に繋いでいます。底幅は1~2間(1.8~3.6m)幅で、途中、切通しなどの工事の跡が明瞭に残っています。ただし、他の峠越えの駅路(ex.北陸道の倶利伽羅峠)と比べると、投下された土木量は限定的で、狭小で曲折しています。
よって、近世に生活道路として使われた古道であるのは間違いないでしょう。
ただ、中世以前に遡らないとは申しません。地元では、台地北端の矢口(やこう)に船着き場があった、とか、岩屋古墳の筑波石を運んだ、というような伝承があるようです。
矢口にある一宮神社は、利根川方面を見渡す位置にあります。「白鳳道ふれあいの道」から龍角寺旧参道を進むと、成田市松崎の二宮神社、郷部の成田総鎮守・三宮埴生神社に至ります。伝承を裏付けるかのようです。
でも、残念ながら、現在の痕跡からは、奈良時代の前期駅路だとは、いえそうもありません。
そうなると、前回までの仮説は撤回か? 待て次回!!(笑)