現地レポート

常陸国の古代駅路Ⅴ ③桜川渡河地点を探る。土浦市南部ルート編

謎の土浦市中央部に先立って、南部の丘陵上をチェックしましょう。

①で取り上げた溜池から西に向かう直線道の痕跡は比較的明瞭です。1948年撮影の米軍航空写真をご覧ください。

USA-R793-5 19480105 土浦市南部丘陵

次に、ほぼ同じ範囲を3D地図と迅速測図でご覧ください。比較して頂くと、丘陵がごっそりと削られている場所ありますが、現在の国道354号建設に伴う土取り工事のためだそうです。

土浦市南部の東海道推定ルート3D
出典:歴史的農業環境閲覧システム(農研機構農業環境変動研究センター)

さて質問です(笑)。駅路はこの先、どこから桜川氾濫原へ下りたと思いますか?

代表的な説が二つあります。このまま直進して下高津切通し(勝手に命名)を下ったという青線説と、下高津小学校の手前で右折したという赤線説です。3D地図上に落とすとこのようになります。

土浦市南部の東海道推定ルート 3Dアップ

各説の現況をご覧ください。まず、青線説から。緩やかな直線の坂道です。

下高津切通し

そして、赤線説。段丘崖を斜行する歩道が設けられています。迅速測図の道を踏襲したのでしょう。筑波山が綺麗に見えます。

IMG_0143
下高津の斜行道に下りる切通し

常識的には、直線的で緩やかな下高津切通しが有力と見えます。ただ、②で取り上げた土浦市北部のルートへ合流するためには、ややUターン気味に戻ることになります。

ルート推定は次回の土浦市中央部編で総括します。ここでは最後に、曾禰駅の比定地について触れます。

地図でご覧いただいた通り、付近の丘陵上には奈良・平安時代の遺跡が分布しています。下高津小学校遺跡では、想定ルートと主軸方向をそろえた住居跡が見つかっているそうです。曾禰駅の有力な比定地の一つとなっています。

また、寄居・うぐいす平遺跡では、灰釉陶器が一般集落より多く出土しており、経済的に優位な地域であったようです。桜川の河川交通と東海道の結節点ともいえる環境が関係していると考えられています。

つづく

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