クロスワードパズルでどうしても最後の一コマが埋まらない、あの感じです。現時点での仮定ルートは立体微地形図の通りです。赤か青か? それが問題だ…(苦笑)
暫し、古道パズルにお付き合い頂けませんか?(笑) 資料からの手掛かりは下の通りです。
1.小字「申負田」には、神功皇后が宇佐参拝で渡河する際に、背負って渡したサルに土地を与えたことにちなむとの伝承がある。
2.小字「久々婆(くうば)」には近世、「わたり大道」があり、川端に奉幣使小休所があった。
3.小字「久々婆」付近は、伊呂波川の浅瀬であり、戦後まで石を積み上げて渡しとしていた。飛石に用いられたと思われる大型の石があった。
4.小字「狙渡前(さるわたりまえ)」は、対岸の猿渡地区への渡河地点を示すと推定される。
5.小字図によれば、「久々婆」北辺の字界が段丘上から「申負田」へ続いており、古道痕跡の可能性がある。
立体微地形図へ戻りましょう。今度は北を上に、真上から見下ろしてみます。赤線も青線も、現地形では段丘崖に阻まれスムースに繋がりません。ただ、古道の痕跡らしき切通しや盛土が見られ、気になります。
ということで、結論は出ませんでした。古代から近世までに、何度か変遷があったのかもしれません。また、近世は、青線が街道であったと思われます。
でも、それじゃぁ、ご納得頂けませんよね!(笑) ということで、バイブル『地図でみる西日本の古代』を見てみましょう。
どうやら小字界=行政界に注目されたようで、青線で段丘崖から下り、赤線で渡河したとお考えのようです。なるほど! そうかもしれませんね。
最後に、現地の写真をご紹介します。とても眺めがよく、気持ちのよい古道であるのは間違いありません。
まず、東(右)側の切通し。中世道っぽいですが、いい雰囲気です。
次に久々婆1号墳の分岐点です。
「狙渡前」の直線的な道。右に折れると伊呂波川を渡ります。