山陽道の首駅・明石駅の比定地を巡っては、決定的な遺構が見つかっていないため、長い議論が続いています。まずは立体微地形図をご覧下さい。有力な比定地4か所をプロットしてあります。
特に、大蔵中町遺跡では昨年、古瓦を平らに積み上げて井戸側とした瓦積み井戸5基が検出されました。官衙関連施設で使用される国府系瓦が大量に見つかったことで、近くに駅家があった可能性があり、不明であった駅路ルートが解明されるのではないか、と騒がれました。
他に、高橋美久二氏は白鳳期に遡る太寺廃寺近くにあったとし、吉本昌弘氏は条里余剰帯から想定された駅路へスムースに連絡するとして当地に比定しています。さらに、明石(摩耶)神社、真湯坂(摩耶谷)の存在から一帯が「摩耶(まや)」と呼ばれていたと推測され、駅家(うまや)から転訛した可能性も指摘されています。
どこもあやしい!(笑) このような事情から、一つ手前の摂津国・須磨駅から通ずる駅路についても、複数のルートが想定されています。バイブル『地図でに見る西日本の古代』では下のように記載しています。木下良氏は、古代では海岸沿いが通行困難であったため、一旦内陸部に入って明石駅に達したとの説を採られていたようです。(2009年『事典 日本古代の道と駅』より)
なお、播磨国の駅路・駅家の大まかな位置について、地元専門家の皆さんは下のように考えておられるようです。
いや~、現地を歩きたい! でも、明石駅だけで一日かかりそうです。ということで、仮想探査シリーズのスタートです。