築地塀に囲まれた一辺約80mの方形区画・駅館院。礎石建て瓦葺で、白壁、赤塗りの建物群。そんな立派な駅家の姿が、布勢駅(小犬丸遺跡)の発掘調査で明らかとなっています。日本で初めて駅家遺構として確認されました。
でも、やっぱり、気になりますよね? 駅路痕跡!(笑)。下の写真は、発掘調査で「驛」「布勢井邊家」と書かれた墨書土器や木簡が見つかった有名な場所です。それはさておき、東西に走っているのが、山陽道の北側溝と考えられています。ちなみに穴のように見えるのは井戸跡です。
実は南側側溝も見つかっています。それぞれの位置関係は下の図の通りです。
では、駅家付近で駅路はどこをどんな風に通っていたのでしょうか? 調査を担当された岸本道昭氏は、ズバリこのように推定されています。ただし、左右の繋がりは不明のようです。
この駅家の前で駅路が広場状になっているパターン! 見覚えがあります。常陸国の藻島駅家比定地です。
そういえば、心の師・中村太一氏(北海道教育大)が布勢駅家の3D復元図を作成されていました。駅家前の駅路もきちんと復元されてました!(笑) とても美しい建物で、蕃客(外国の使節)の来訪に備えた宿泊・迎賓施設としての機能があったというのも頷けます。
それにしても、駅路はどのように繋がっていたのでしょうか? こういうときは、古い航空写真に限ります! 写真は、1961年の国土地理院撮影のものです。
なんとな~く地割が読み取れますね。実は、西方の中谷廃寺でも発掘調査が行われており、駅路痕跡は見つかっていません。これらを手掛かりに、蛮勇を振るって想定ラインを引いてみましょう。
さて、そうなると、とても気になるのが、これらの帯状地割です。上が北側溝、下が南側溝の検出された付近。これってそのまんま駅路なんじゃ!?
最後に、邑智駅からの略図をご紹介します。なお、長尾薬師塚古墳は初代駅長の墳墓で、中谷廃寺は駅長が壇越だったのではないか、とも言われているそうです。