兵庫県は発掘調査が大きな成果を上げている駅路研究の先進地域です。姫路市太市中(おおいちなか)の想定ルート上でも昨年、駅路側溝が見つかりました。これを受け、古瓦が採取される向山(むこやま)遺跡が、邑智(『延喜式』では大市)駅として有力視されています。
周辺には「馬屋(うまや)田」「前(うまや→まえ?)田」といった小字地名も残っています。おまけに裏山は、「馬山」!(笑)
ここで、発掘にあたった県立考古博物館が発行している「NEWS vol.14」に掲載の旧版地図を引用させて頂きます。桜峠から槻(けやき)坂までほぼ真っ直ぐな赤線が、発掘により判明した駅路ルートです。今ではイメージすることも難しいですが、桜山貯水池の底を横断していました。
発掘点周辺から望む比定地です。
少しだけ補足します。下図をご覧頂きたいのですが、消去法で候補から外れた青線のうち、大字界の部分は、直線的計画道以前の初期駅路が走っていた可能性があります。中村太一氏は緑線の美作路から分岐した青の破線のようなルートが存在したと考えられています。(1990年 「山陽道美作支道の復元的研究」『歴史地理学 150』より)。
さて、次回は、日本で初めて駅家と確認された布施駅をご紹介します。