“古代の国道一号”山陽道の駅家であっても、都市部となると痕跡は必ずしも明瞭ではありません。
道路の痕跡を追った先でガックリというケースをご紹介いたします。
皆さんもご一緒にガックリ気分を味わって下さい(笑)。
まずは、全国最大の駅馬40疋を抱えていた賀古駅(加古川市野口町古大内)から。
約5km東の稗沢池(明石市二見町福里)を横断する堤は、その見事さ、美しさで間違いなく全国を代表する駅路痕跡です。
延長線上の池の東で、幅12mの道路遺構が発掘確認されています。(※過去記事ご参照)
100%確実な痕跡地形の迫力をお楽しみ下さい! 因みに私は、レリゴーを歌いながらシャッターを押しています(笑)。
眼福、眼福。さらに、500mほど延長線上を西に進むと、マニア垂涎の路地が!
現在でも加古川市と播磨町の行政界となっている立派な駅路痕跡です。
さらに、延長線上を西進すると、まっすぐな現道にたどり着きます。期待が高まります!
そして、これが八脚門の扉の唐居敷が見つかった大歳神社なのですが・・・。なんか普通。
「駅ヶ池」とストレートな名前の残っている池。写真中央を駅路が走っていたはずですが。
やっぱりよくわかりません(涙)。
Google earthの3D図と比べて頂くと、駅路の位置関係がお分かり頂けると思います。真南を向いています。マークの位置が賀古駅比定地。
こういうとき、往年の名番組「8時だよ全員集合」で、ドリフターズのいかりや長介さんはこういっていました。「次、いってみよ~!」
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気を取り直して、一つ東側の駅家・邑美(おうみ)駅(明石市魚住町金ケ崎)を訪ねましょう。(※過去記事ご参照)
手前の現道です。駅路の敷地を宅地に転用したらしき、典型的な痕跡地形です。
先に進んだところにある「大道池」の底まで、まっすぐ正面へ駅路が伸びていたと推定されています。
この長屋があったあたりが、駅路のはずです。
さぁ、駅家の痕跡は今、どのように!
あ、右の住宅の前の道が駅館院の東側築地塀があったところとみられます。
ちょっと、離れてみると・・・
やっぱりふつうの田圃ですね。発掘調査後ですから布目瓦も散布しておりません。
また、Google earthの3D図と比べて下さい。真南を向いています。邑美駅比定地が丘の上に立地していることが分かりますね。
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気を取り直して、延長線上を東に進みますと、また直線道路が。
その先には駅路痕跡とみられる通称・長池が!
昔はもっと縦に長かったようです。駅路側溝を掘り込んだのでしょうか。
惜しい! 惜しすぎる!(笑) 駅家の痕跡さえ明確ならば、恰好の観光ウォーキングコースになるのに!
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さて皆様、ガックりして頂けましたでしょうか?(NHK番組「ためしてガッテン」の立川志の輔さん風に)。
つづく