日立市境の古墳群を抜けると、緩やかな勾配の切通し坂が、花貫川へと下っていました。よく知られた高萩市の古代東海道痕跡です。
高萩市の上台古墳群と日立市の藻島台古墳群は、6世紀後半から7世紀前半にかけて築かれたもので、かつては合わせて30基程度が存在したそうです。(案内板より)
古代駅路は古墳群を掠めつつ(前方後円墳一基を削りつつ)北進し、切通し坂へ入ります。20度以下の一定の勾配で、丘状から40m弱を一気に河原へと下っています。若干カーブしているのは、勾配平均化のためかもしれません。
花貫川で行き止まりとなりますが、対岸の工場敷地内に延長ラインと重なる水路が流れているのが気になります。ぐるりと迂回して振り返るとこの通り。駅路側溝が用水路に転用されたというパターンかもしれません。
さらに、駅路の延長ライン上に、気になる直線道路が続いています。旧火力発電所敷地に沿って、低地と台地の境界線上を北に進んでいきます。
この区間については、残念ながら直線性と地形以外の手がかりがなく、駅路痕跡と自信を持って言えませんが、心の中では密かに「当確」マークを付けました(笑)。