つづら折りの古代山陰道が見つかった養郷宮之脇遺跡など養郷遺跡群があるのは青谷東側丘陵。次に発掘調査の対象となるのが、平野部を挟んだ青谷西側丘陵です。
まずは、県埋蔵文化財センターさんのFBをお読み下さい!
実はここ、2年前に少し覗いてみましたが(※前回レポご参照)、今回、さらに奥まで探ってみました!
では、改めて歩いてみましょう! これが青谷西側丘陵です。
相屋神社脇から丘陵尾根へ上る里道は、廃道化していますが近世街道のような佇まい。でも、山側斜面の傾斜の立ち具合から見ると、比較的最近に掘り下げられたようです。
県埋蔵文化財センターさんは、里道の下、谷の底を古代山陰道の想定ルート(暫定)としておられます(写真は2018年11月撮影、坂上を向いて)。
ご覧の通り、階段状に平らに整地されていて、かつて畑として使用されていた雰囲気です。古代道路が通っていたとしても、痕跡を見つけるのは難しそう。
下は、里道を登り切った場所の大きな切通しです。
正直、青谷東側丘陵の切通し群と比べるとやや狭い感じがするのですが、周辺にトレンチを入れる予定だそうで、白黒はっきりすることでしょう!😊
ここから先、西側には下のような平坦面や切通し部分を確認できます。
そしてここが尾根の突き当り。ここから先、右(北)か左(南)か?!
ところが、県埋蔵文化財センターさんは、古代道路はここを真っすぐ直進していたと推定されています。残念ながら素人の私は想像だにできず未踏査😅
なお、ご参考までに分岐点の左右から谷へ下りるルートを探った結果をご紹介します。
まず右の道ですが、谷部を下ると道跡は途絶え、猪のヌタ場に到着!(笑)鉢合わせしたらコワいので撤退!
左に進むと・・・
谷を下ったところで、駅路痕跡に見えなくもない地形を見つけました。写真は下から振り返ったところです。
この先は藪が濃くなり、撤退いたしました。結論としては、「何とも言えない」でした(苦笑)。
ということで、発掘調査の結果に期待いたします!
終わり