兵庫県上郡町の辻ケ内遺跡が古代山陽道の高田駅家と確認されました。昨年3月にニュースになっています。『延喜式』記載などから、播磨国の山陽道本路には9駅があったとされ、今回で6駅目が判明したことになります。
決め手は瓦
今回決め手となったのは、古大内式の蓮華紋軒丸瓦。官衙関連施設で使用されるこの国府系瓦の一つが見つかったことでした。
全国最大の駅馬40疋を抱えていた賀古駅(加古川市野口町古大内)と同じ種類の瓦、といえば納得されるでしょうか?
駅家の発掘確認において、播磨国は圧倒的に全国をリードしています。その理由の一つが瓦葺であったことです。
山陽道は宮都と大宰府をつなぐ最重要路で七道駅路の中で唯一「大路」の格付けでした。海外からの賓客も利用するとあって駅家は瓦葺、白壁造りの立派なつくりでした。
東日本で未だ確認事例がないのは、瓦葺でなく、郡家やその出先である正倉別院など官衙遺構と見分けがつかないため。残念!
辻ケ内遺跡ってどんなところ?
実は未踏です(苦笑)。在宅探索の記事がなかなかよいのでまずはご覧ください。
1961年の航空写真でみると、山陽道想定ライン(青線)に面して、水田区画になんとなく四角い区画が見えますよね。すでに確認済みの賀古駅、布勢駅の駅館院(約80m四方)が収まるサイズです。
なお、右上に「前田」(「うまやだ」の転訛?)、下に「大道ノ下」の小字が残っていたそう。
そして、この南辺、西辺を調査したところ、築地塀の基盤が残っていて瓦が見つかったのだそうです(『兵庫県立考古博物館NEWS vol.26 2020 Autumn-Winter』)。
残りの駅家は?
さて、播磨国の山陽道本路上で未確認の駅家は、明石、佐突、草上の3駅のみ。そう遠くない将来に確認されるかもしれません。ご興味あれば、在宅探索で予習してみては?(笑)