姫路市太市中(おおいちなか)の通称「桜ダム」の湖底には、古代山陽道が眠っています。
昭和初期にダムが作られるまでは、山間の湿地帯でした。
明治時代の旧版地図によれば、駅路はここを築堤して横断していたと推測されます。図の右端です。
播磨国全体の推定ルートで見ると、大市駅(『延喜式』ではこちらの表記)と草上駅の間ということになります。
水中はさすがに無理ですが(笑)、かつての峠の手前まで、痕跡を辿ってみました。
まずは、俯瞰で地形をご覧ください。
現道は姫路科学館(通称:アトムの館)から、尾根を切り通してダム湖をぐるりと巡っています。
一方で、旧道は科学館の裏手から、桜峠を越えていました。1m単位の等高線とともに詳細な地形をご覧ください。
道路痕跡は峠の手前で突然途切れます。ダムの建造時に、峠を埋める工事が行われたのでしょうか? 実際に現地を歩いてみましょう。
綺麗な凹道地形が残っていますね!。久しぶりの凹道探索でドキドキです。
境界杭が旧道の位置を教えてくれます。この先にも続いています。
しだいに勾配がきつくなります。振り返ってみると、旧道の中央は浸食を受けて沢のような姿になっています。
そして、ついに、桜峠で堤に突き当りました。
よく見ると、コンクリート片や金属片が混ざっていて、ダム工事の残土を積み上げたようです。
堤の脇をよじ登ると、ダム湖が眼前に広がりました。古代駅路はここから峠を下っていたはずです。
ダム湖の反対側にも、明瞭な駅路痕跡が残っています。
田んぼの中を直進するこの道の見事さよ! この先の丘陵下には、かつての駅路敷地が空き地として残っています。
ほぼまっすぐ進むと、邑智駅の比定地にたどり着きます。
案内板が立てられているほかは、なんの痕跡はも残っていませんが、以前、レポートした通り、周辺の発掘調査により駅家跡と確実視されています。
つづく