竹林の古代道路切通しと佇まい
古代道路の現地探索中、想定ルート上に竹林を見つけると、心の中でガッツボーズを決めるブログ主です(笑)。
タケノコ泥棒?と疑いの目で見られることもありますが😓
- 成長が早く群落化して日光を遮るため他の植物が生えにくい。
- 竹の幹は樹木のように太くならない。
- 地下茎が横に這い地面を保持するため地形が保存されやすい
こうした特徴から、古代道路の地形が残り全体を見通しやすいケースが多いのです。では特徴的な遺構地形を見て見ましょう!
ここは、弥生時代の環濠集落跡で知られる吉野ヶ里歴史公園(佐賀県吉野ヶ里町)の東。西海道肥前路が発掘確認された鳥ノ隈(とりのくま)遺跡です。側溝芯々間5.3mの道路遺構が見つかりました。
1994年の調査時には樹木はきれいに除去されましたが、20余年で竹林に逆戻りしてました(2015年4月撮影)。
吉野ヶ里歴史公園のど真ん中にも西海道の切通しが!😁
そしてこちらは、山陰道遺構で知られる杉沢遺跡(出雲市斐川町)の東にある仮称「三絡切通し」です。(2018年11月撮影)。写真左側が生活道路として使われていて、少し窪んでいます。
この「三絡切通し」の東にもミニ切通しがキレイに残っていますよ!
以上で、樹木や下草に邪魔されず地形を確認できる竹林の有利さをご理解いただけたと思います。 竹林ならではの古代道路痕跡の佇まいもお分かりいただけましたよね?
伊賀国にも切通し痕跡が?!
さて、お待ちかね!(笑)。今回ご紹介するのがこちら、仮称「一之宮切通し」(三重県伊賀市一之宮)です。伊賀国一宮敢国神社の西に位置します。
竹林が濃く分かりにくいのですが、逆台形の切通し状地形がご覧になれると思います。道幅の広さ、ゆったりとした両壁の傾斜、そしてキツめの勾配。どれをとっても古代道路の特徴にピッタリです。
下は切通しを南側から眺めたところ。お地蔵様の向こう、写真中央に入口があるのですがまったく見えませんね!😅
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なお、南側にも現道の切通しがありますが、こちらは後世に掘り下げられたもののようです。下の写真の左側にある竹林の中を駅路は通過していたと推定しています。
生活道としては駅路は広すぎますし、また坂の勾配がキツイので、幅員の一部分または脇に新しい道が作られる傾向があります。
ではこれ、古代道路の痕跡発見!、と考えてよいのでしょうか? 次回、歴史地理学的な手法で検証してみます。
つづく
寄り道
切通しから東に約700mには伊賀国一宮の敢国神社があります。式内社(大社)です。まぁ、でも、伊賀の歴史といえば第一に「忍者」ですよね!😊