前方後円墳の丸い部分と四角い部分の長さの比率を、「墳丘比」といいます。長柄桜山古墳群の墳丘比は、○:□=6:4です。
では、相模国の前期古墳のスターたちを御覧下さい!(笑) ところが、この中に、一つも6:4の墳丘比のものがないのです。
ところが、東京湾を渡った上総国では、類例がいくつも存在しています。釈迦山、今富塚、能満寺、油殿1号、杓子塚、瀧台、etc.・・・。
市原市姉崎古墳群の釈迦山古墳(全長86m)を見てみましょう。ご覧の通り、典型的な海浜型前方後円墳です。そしてこちらも、付近を古代東海道が通過したと考えられており、約3㎞北に嶋穴駅が比定されています。
見切れてますが、古代の海上郡家の推定地である同市小折(こおり!)、同古墳群最古で墳丘比6:4の今富塚古墳(全長110m)もあります。
また、このエリアは『万葉集』(巻第十四)東歌に、「夏麻引く海上潟の沖つ渚に船はとどめむ小夜ふけにけり(なつそびくうなかみがたの おきつすに ふねはとどめむ さよふけにけり)」と詠まれたことでも知られています。
「海上潟の沖にある洲に船を泊めよう。夜が更けてしまった」というようなのんびりとした歌ですが、重要なのは海上潟という天然の良港があったと考えられることです。
迅速測図でご覧いただくと、一層、水陸交通の要衝であったことがイメージできると思います。
同じタイプの海浜型前方後円墳が、地元にはなく、東京湾を挟んで存在する不思議さ。この背景として、古墳時代の交通路を推定した研究があります。待て次回!(笑)
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この記事を書いていていて、2年ほど前、上総国の東海道駅路を探して、周辺を徘徊したことを思い出しました。
式内社でヤマトタケル創建の社伝のある島穴神社へは、古代東海道の痕跡ともされる直線道が田園地帯を伸びています。美しい景色でした。
つづく