近代の開発を逃れた倶利伽羅峠道
石川・富山県境の倶利伽羅峠(くりからとうげ)は、江戸時代の北国街道が通っていた尾根伝いの山越えの道でした。
古代において加賀と越中をつないだ北陸道を踏襲したものと考えられています。源平合戦で1183年に源義仲が火牛攻めで平家軍を破った舞台です。
明治11(1878)年にやや北の天田峠を越える新道が建設されると、倶利伽羅峠ルートは江戸時代のままの姿が保たれることになりました。
下図は明治時代の地図で太線が新道、赤線が旧道となります。
そして旧道脇に古代北陸道の痕跡と見られる地形が多数残されていることは、過去にレポートいたしました。
旧版地図と3D地図で痕跡を探そう!
今回、上図の左端にあたる旧竹橋宿の西側部分を例に、古代北陸道痕跡を在宅探索してみましょう!
まずは時代変遷を調べるため、旧版地図を時代順に並べてみます。1909年(明治42年)地図では新道に切り替わったばかりですから旧道も健在ですね。
1930年になると旧道は徒歩道扱いに。
1968-9年地図ではついに記載が消滅します。新道も旧竹橋宿を経由せず直線化されています。竹橋川も改修されてますね。
そして現在は丘陵上に運動公園が出来ました。竹橋川→津幡川と名前が変わってますね。
開発に伴って、もう旧道の痕跡は残っていないのでしょうか? カシミール3Dの3D地図を見ると・・・。ん!? 中央に気になる窪地がありますね!
アップすると・・・。確かに帯状窪地が見えます。
試しに3D地図を重ねてみると、旧道とピッタリ重なります。帯状窪地は旧北陸道の切通し坂の痕跡であると考えてよいでしょう!
終戦直後の米軍航空写真でも旧道跡はクッキリ!
さて、答え合わせです(笑)
散々引っ張りましたが、実はここ、2年前に実踏済みなんです。ご紹介が遅れていました。
北から南に歩いてみましょう! 奥の竹やぶが目当ての帯状窪地です。
上からのぞいてみても、崖状に落ち込んでいてよく見えませんね。
今度は反対に回り南側=出口側から見上げてみます。なんとなく窪んいるのは分かりますが・・・。では、竹やぶに突入してみましょう!
結果はこの通り!酷い荒れようですが、かつてはかなり広い幅の切通しがあったと思われる地形でした。
古代北陸道発見?!
今回、明治以前の北国海道の痕跡を確認できたのは間違いなさそうです。
ただし、竹やぶが酷く地形もずいぶんと変わっているようで、結論としては古代北陸道の痕跡と断言するのは難しいと考えます。残念!
100年間放置されると近世街道もここまで荒れてしまうという実例とはいえそうです。
◆
切通しの先、東側には、旧竹橋宿の家並みが続きます。
そのまま進めば旧北陸道。
「歴史国道」として整備され、ハイキングコースとしておススメです!
終わり
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